尾形乾山の生涯とその足跡を辿る

ブログをご覧の皆様。こんにちは。

コトポッター店主の横山です。

現代の陶芸に通じる礎を気づいた陶工・尾形乾山。

京都で生まれ江戸で没した乾山ですが、その生涯の痕跡は今でも多くの場所で見られます。

今回は京都の乾山の足跡をめぐりながら、乾山の生涯を回想していきたいと思います。

 

1. 幼少期の舞台:雁金屋跡地

尾形乾山が生まれたのは1663年(寛文3年)。

京都の上京区にあった呉服商「雁金屋」の三男として誕生しました。

雁金屋は皇室や将軍家に呉服を納める名門商家で、文化的教養に恵まれた家庭でした。

父・宗謙、兄・光琳とともに能楽や絵画、和歌といった芸術に触れる日々を送りました。

しかし、1678年(延宝6年)、東福門院の死去をきっかけに雁金屋は顧客を失い、経営が傾きます。

父・宗謙は大名貸しに手を出しますが回収に失敗し、家業は没落。

それでも宗謙は死後に多くの遺産を残し、兄・光琳は奔放な生活を送り芸の肥やしにし、のちの尾形光琳の大成の礎にしました。

兄とは対照的に内省的な性格であった乾山は書や禅の教えを学び、知的で静かな日々を送ったとされています。

尾形乾山の生家とされる雁金屋の正確な場所は不明ですが、当時の京都の上京区、中立売小川付近が候補地とされています。



2. 禅と陶法を学ぶ:仁和寺南の習静堂

1689年(元禄2年)、乾山は仁和寺の南に「習静堂」を構え、禅の教えを学び始めます。

この静かな環境で、彼は詩文や書に親しみつつ、陶芸の基礎技術を学びました。

 

この時期、乾山が直接師事したのが御室焼の仁清でした。こ

※御室焼の仁清・・・乾山に陶芸を教えたのは初代仁清(野々村仁清)か二代仁清か研究者でも議論がわかれる。

仁清からは、華やかな色絵技法や茶道具制作の基礎を学びます。

乾山の自筆伝書『陶工必用』(1637年)には、仁清から伝授された技法が詳しく記されており、釉薬の調合や焼成技術の他、窯の管理方法に至るまで、当時の陶芸の最先端が反映されています。

 



仁清からの教えは、乾山が後に作る抹茶碗や香合、水指など、茶道具の多くに活かされました。

仁和寺の精神的な静けさと仁清の高度な技術が、乾山の陶芸家としての基盤を築いたのです。

 



乾山が禅と書を学んだ「習静堂」の跡地は残されていませんが、彼がこの地で精神性を育み、陶芸への道を歩み始めた歴史を感じることができます。

 

 

3. 創作の原点:鳴滝の窯跡

1694年(元禄7年)、乾山は仁和寺を離れ、鳴滝泉谷町に窯を築きます。

この地は自然に囲まれた静かな環境で、乾山が本格的に陶芸活動を始める舞台となりました。

彼はここで抹茶碗や香合、水指などを中心に制作し、茶道具の新たな美学を生み出しました。

鳴滝時代には、兄・光琳との協力も深まりました。

光琳が絵画や蒔絵で琳派の美学を極める一方で、乾山はそれを陶器に取り入れ、琳派陶芸の基礎を築きました。

この時期に生まれた作品は、華やかな色絵と独創的なデザインが特徴です。

 



鳴滝にある「尾形乾山窯跡」の石碑が、この地が乾山の創作の原点であることを物語ります。

周囲には自然が広がり、彼が作品作りに没頭していた当時の静けさを思い起こさせます。

乾山がこの地を去ったのち、法蔵禅寺が建立されました。

自然あふれる静かな環境で荘厳にたたずむ姿に、乾山の作陶の風景を重ね偲ぶことができます。

 



 

 

 

4. 京都市内での円熟期:二条時代

1712年(正徳2年)、乾山は鳴滝の窯を閉じ、京都市中京区二条丁子屋町に移住します。

この時期、乾山は三条粟田口や五条坂で借窯を使い、多彩な作品を制作しました。

茶道具はもちろん、日常使いの器や装飾性の高い陶器も数多く手がけ、その名声をさらに高めました。

京都の文化人や茶人との交流も盛んで、琳派美学を取り入れた華やかなデザインと実用性を兼ね備えた作品が生まれたのはこの時期です。

 

5. 新たな地での挑戦:江戸時代と晩年

1731年(享保16年)、乾山は仁和寺の公寛法親王に随行して江戸に移住します。

ここで彼は京都で培った技術と美学を広め、江戸の文化人や茶人との交流を深めました。

江戸時代の作品には、京都とは異なる江戸の文化的要素が取り入れられており、彼の創作活動の幅広さを感じさせます。

この時期の尾形乾山が江戸のどの地区で作陶をしていたかわかる記述はなく、足跡を追うことはできませんでした。

 

6. 尾形乾山の菩提寺、京都・泉妙院

1743年(寛保3年)、尾形乾山は江戸で81年の生涯を終えました。

 

京都・泉妙院は尾形家の菩提寺であり、兄・光琳とともに乾山の墓が静かに佇んでいます。


 

 

乾山の辞世の句「うきこともうれしき折も過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる」

良いことも悪いこともあったけど、過ぎてしまった今ではただ夢のような日々だった。

陶芸だけでなく、書や画で自分の感性を表現しつづけた尾形乾山、その生涯はまさに夢中のものだったのではないでしょうか。

 

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このブログを書いたのは

 

横山雅駿
KOTOPOTTER 店主

横山雅駿

10年以上にわたり、京焼・清水焼はじめ伝統工芸品や陶磁器に携わっています。

京都の窯元や陶芸家と連携し知見や審美眼を深めながら、新しい伝統工芸品の在り方を模索しています。

2024年に京焼・清水焼専門のECサイトKOTOPOTTERを立ち上げました。

 

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