1. 京焼と清水焼の意味と歴史的背景
京焼
京焼は、京都全域で生産される陶磁器の総称です。
京焼の起源は、16世紀の安土桃山時代にあります。この時期、京都は政治と文化の中心地であり、茶道が盛んに行われていました。最も有名な陶工の一人が長次郎であり、彼が生み出した「楽焼」は、茶道具として高く評価されました。楽焼のシンプルで美しい茶碗は、今日でも京焼の象徴的な存在です。
また、江戸時代初期には、京都市内各地で様々な焼き物が作られ、御室焼や粟田口焼などの窯元が存在していました。
京焼の特徴は、特定の技法に縛られず、職人の個性が反映された多様なデザインを生み出すことにあります。
特に、野々村仁清や尾形乾山といった著名な陶工が、アートとして高く評価される陶芸を多く作り出しました。
- 長次郎 黒楽茶碗 銘むかし咄 安土桃山時代・16世紀
- 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
- https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-74?locale=ja
- 野々村仁清 色絵月梅図茶壺 江戸時代・17世紀
- 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
- https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-40?locale=ja
清水焼
清水焼は、京都市東山区の清水寺周辺、特に五条坂で生産される陶磁器を指します。
清水焼は、観光地である清水寺の参拝客を対象に発展し、食器や茶碗を中心に作られてきました。
割烹食器や茶道具が特に多く作られており、茶道具としての需要に応えています。
清水焼の初期の作品である「古清水」は、釉薬の貫入(ひび割れ)とシンプルな色彩が特徴です。後に磁器の生産が開始され、清水焼は華やかな色彩とデザインへと発展していきました。
河井寛次郎や近藤悠三、現代でも続く名門・清水六兵衛などは五条坂に陶房をかまえ、清水焼の名工の代表格と言えます。
- 古清水色絵松竹梅文高杯
- 国立文化財機構所蔵品統合検索システム
- https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/G%E7%94%B2439?locale=ja
2. 現代における京焼・清水焼の並記の経緯
昭和時代に入り、五条坂周辺が急速に都市化し、観光地としても発展しました。
しかし、登り窯から発生する煤煙や、土地の狭さが窯元の生産活動に影響を及ぼしました。
これを解決するため、1960年代に五条坂から音羽山(清水寺がある山)を挟んだ向こう側の山科区に「清水焼団地」が設立され、多くの窯元が移転しました。
この団地は、より効率的に清水焼を生産できる環境を整えただけでなく、防火対策も強化されました。
清水焼が京焼を代表する存在として認識されるようになったのは、観光地としての発展と清水焼の生産量の増加によるものです。
「京焼・清水焼」を単に「清水焼」と呼称する場合が多いのは、この時期の清水焼台頭が強く残っているからかもしれません。
一方で、京都全域で作られる京焼も引き続き生産されており、両者を区別しながら同時に扱う必要が生じました。
こうして、現代では「京焼・清水焼」として両者が並んで表記され、京都全体の陶磁器文化を包括的に示す表現が定着しました。
3. まとめ
京焼と清水焼は、それぞれ異なる地域的背景と歴史を持ちながらも、共に京都を代表する陶磁器として発展してきました。
京焼は、京都の広範囲にわたる陶磁器の総称であり、清水焼は五条坂や清水寺の地域に根付いた陶器です。
様々な時代の変遷を受けて、現在では「京焼・清水焼」として並んで表記され、京都の陶磁器文化全体を表す象徴的な存在となっています。
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