専門家と考える乾山 2/4 ~乾山焼はどのように受け入れられた?~ 

 

インタビュイー:畑中章良 さん(MIHO MUSEUM 学芸部長)

「信楽—壺中の天」(1999)「乾山—幽邃と風雅の世界」(2004)、「古陶の譜—中世のやきもの」(2010)などの特別展を担当。企画立案された乾山料理写真集『美し(うまし うるはし)乾山 四季彩菜』は、「グルマン世界料理本大賞」写真部門でグランプリ(2006)とベスト・オブ・ザ・ベスト(2008)20年間のベスト・オブ・ザ・ベスト2015を受賞。

インタビュアー:横山雅駿(コトポッター店主)

 

Q.当時の乾山焼の価値

横山: 乾山の作品は、今では十分に価値が認められていると言われていますが、当時の人々の目にはどれくらい価値があったのか気になります。やはり、一部の人しか手に入れられない高級品だったのでしょうか?

畑中さん: そうですね。京都以外の地域から入ってきた普段使いのお茶道具などは町の人々が手に入れたと思いますが、乾山の作品は少し違います。一つはお兄さんとの合作は持っていれば自慢できるものだったと思います。

  • 銹絵牡丹図角皿 光琳画 所蔵:MIHO MUSEUM
  • 画像:乾山~幽邃と風雅の世界~ MIHO MUSEUM

横山: それは当時、かなり価値が高かったということですね。

畑中さん: はい、実際、京都の有名人を集めた本に乾山の名前が出てきます。その本には、有名な絵師・円山応挙や伊藤若冲などが登場し、乾山もその中に名を連ねています。つまり、そういう著名人が作ったものを持っていると、ちょっと自慢できるというような感覚があったのでしょう。

  • 丸山応挙 桜花図 所蔵:東京国立博物館
  • 画像:Colbase

横山: 乾山の陶芸作品は名だたる絵師たちの作品に並ぶ、一種のブランド品だったわけですね。

畑中さん:乾山の生家・雁金屋は東福門院などを顧客とする皇室御用達的な呉服屋でした。兄・光琳の絵もそうですが、雁金屋の御曹司が焼き物をつくるというのはすごいインパクトがあったと思いますよ。当時のひとたち憧れの品だったんじゃないでしょうか。

  • 光琳 風神雷神図屏風 所蔵:東京国立博物館
  • 画像:Colbase

横山: なるほど。皇室御用達と聞くと、現代の私たちにもとてもしっくりきます。

畑中さん:当時書かれた京都の名産品を紹介する本があり、乾山焼も載っていたんです。やはり、かなり名の知られた人気の品だったというのは確実ですね。さらに、乾山焼のなかには金彩が使われている作品があります。金や銀を使って縁取りをすることで、さらに高級感が増します。焼き物を何度も焼くことになるため、手間も材料費もかかりますので、自然と値段が高くなります。乾山焼は当時でも一般的に出回っている陶磁器とは別格のものだったと思いますね。

  • 色絵芦雁図透彫反鉢 所蔵:出光美術館
  • 画像:乾山~幽邃と風雅の世界~ MIHO MUSEUM

 

Q.乾山と仁清、考え方の違い

横山: 乾山に陶芸を教えた※御室焼の仁清。二人とも京焼・清水焼の始祖と考えられていますが、作品を見ると美意識や考え方の違うように思います。両者の作陶にはどのような違いがあったのでしょうか?

※御室焼の仁清・・・乾山と関わった仁清は初代仁清(野々村仁清)か二代目仁清か研究者でも議論が分かれています。

畑中さん: 仁清の作品は茶道具がメインです。目的を持って注文されたものが多く、ほとんどは大名に収められていました。仁清には※金森宗和という人物が上にいました。。彼が仁清に対して注文を出し、仁清はその指示を受けて作ったのです。金森宗和は、仁清に主にお茶道具を作らせました。彼は好みに合わせて注文を出し、仁清はその通りに作ったんですね。仁清が発想したものではなく、注文に応じて作ったということです。

金森宗和・・・金森重近(1584-1657)。大名・金森可重の嫡男であったが、その地位を失い、京都で茶人として活躍した。仁清を見出した人物として知られる。

  • 仁清 色絵梅花文茶碗 所蔵:東京国立博物館
  • 画像:Colbase

横山: なるほど。仁清は陶芸の高い技術力で注文に応える品を作っていたというわけですね。乾山はどうなんでしょうか?

畑中さん:乾山は文人や知識人として、学問や文化に触れていたと思います。自分で陶芸の発想を持っていたんです。彼の作品には、絵や文人画、山水などが多くそのような背景が強く現れています。

  • 銹絵観鷗図角皿 所蔵:東京国立博物館
  • 画像:Colbase

    横山:乾山は自分の発想で作品を作ったということですね。それが出来たのはやはり生まれが恵まれた環境であったことが大きいのでしょうか?

    畑中さん: そうです。乾山はお金持ちの家に生まれ、中国の書物などを父親から受け継いでいて、非常に学問に興味を持っていたようです。彼の知識は、作品にも大きな影響を与えていると思います。

    横山: その知識が作品に生かされたんですね。

    畑中さん: そうです。乾山の作品には、彼が吸収した知識が反映され、それが彼の作品を深みのあるものにしているんです。知識が蓄積されていって、陶芸としてアウトプットしていったのが乾山焼に化けるんですよね。

    • 銹絵山茶花図扇面手鉢 所蔵:MIHO MUSEUM
    • 画像:乾山~幽邃と風雅の世界~ MIHO MUSEUM

    横山: その点はやはり当時の他の陶工とは違ったのでしょうか?

    畑中さん: 当時、陶工の立場は農民より下でした。焼き物焼く人なんて山のほう行って、すすまみれになって、身分は下のほうに見られてたんですよね。だからこそ、乾山のように、教養と発想がある陶工は当時は珍しかったと思いますよ。

    横山:こうやってお伺いすると、乾山と仁清の作陶の考え方や姿勢が大きく異なっているのがわかりますね。

     

    Q.乾山焼の出現が与えた影響

    横山:こうやって考えていくと、乾山が当時からしても格別の陶芸家であったことがわかります。当時は乾山焼は当時、どのように受け入れられたのでしょうか?

    畑中さん:仁清も含めてですが、いわゆる京焼きというイメージがありますよね。今でイメージする京焼き。それはやっぱり、仁清・乾山のああいう作品のテイストというかね、それが形作ったと思うんですよね。それは地方に行けば、これ都(京都)のもんよってポッとね、出されたら、ダイヤモンドみたいにキラキラやったんですよ。

    • 銹絵染付絵替向付 所蔵:MIHO MUSEUM
    • 画像:乾山~幽邃と風雅の世界~ MIHO MUSEUM

    横山:仁清や乾山などの京都で作られたものは憧れの品だったわけですね。

    畑中さん:はい。そして、当時は各所に大名お抱えのお庭焼といった窯場がありました。そういうところで都風のものを作る。そうして、仁清や乾山の作風が各地に伝搬していく、というのがあったと思うんですよね。

    いわゆるファッションでいうと、一時期パリがモードの中心と言われていたじゃないですか、オートクチュールのデザイナー、そういう人たちがデザインしたものが世界中に流行になるという時代がありましたね。同じことだと思うんですよ。

    • 色絵紫陽花文鉢 讃窯 所蔵:東京国立博物館
    • 画像:Colbase
    • 讃窯(さんがま)は高松藩の御庭焼。乾山風の絵付けがされている。

     横山:京都を発信地に流行していった…。今ではSNSの発展で有名人がブームを作る流れは自然ですが、江戸時代の当時から個人が持つ発信力というのはあったんですね。

    畑中さん:幕府は江戸にあり政治の中心があっちだったかもしれないですけど、やっぱり帝がいると京都が文化の中心でした。都で作られたもの、都の流行が各地に伝わる流れはあったと思いますよ。

    横山:乾山も文化の中心で焼き物をつくっている、という自負があったのでしょうか?

    畑中さん:そうですね。乾山はやっぱり琳派の一つに入れられているので。そもそも琳派幕府に対する反発なんですよね。

    横山:えっ?そうなんですか?     

     

    <まだまだ続きます part3へ>

     

    専門家と考える乾山 < 1 > < 2 > < 3 > < 4 >

     

    MIHO MUSEUM

    • 営業時間:午前10時~午後5時(最終入館午後4時)
    • 休館日:HPの営業カレンダーをご覧ください
    • アクセス

       

       

      横山雅駿
      KOTOPOTTER 店主

      横山雅駿

      10年以上にわたり、京焼・清水焼はじめ伝統工芸品や陶磁器に携わっています。

      京都の窯元や陶芸家と連携し知見や審美眼を深めながら、新しい伝統工芸品の在り方を模索しています。

      2024年に京焼・清水焼専門のECサイトKOTOPOTTERを立ち上げました。

       

       

      尾形乾山の他の記事

        尾形乾山の生涯

        尾形乾山の生涯と足跡をめぐる

        今回は京都の乾山の足跡をめぐりながら、乾山の生涯を回想していきたいと思います。

        続きを読む
        尾形乾山の生涯

        京焼・清水焼の名工 尾形乾山とは

        京焼・清水焼を語る上で欠かせない歴史上の重要な陶工、尾形乾山(…)

        続きを読む
        ブログに戻る

        コメントを残す